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「三浦知良、50歳 まだやるよ。」を読んで思ったこと。

今月の26日で50歳になった
キングカズこと三浦知良選手。
雑誌Numberの922号で
特集が組まれていたので
早速読みました。

 

今も第一線で活躍するキングカズ。
50歳という年齢でピッチに立つということが
世間一般には驚きを与えているけれど
本人はいたって平静で
50歳という年齢を一つの通過点としてしか
見ていません。
確かに年齢を重ねることによって
フィジカルな面や練習などの面で
難しくなってきたことはあるのかもしれないけれど
これまで何十年と続けてきたことの
延長線上に50歳はあり
50歳だからといって特に実感はないのだそう。

 

本人は何事もないかのように語るけれども
若い才能が次々と生まれ
しのぎを削るサッカー界で
生き残っていくだけでも大変なのに
50歳になっても活躍していくためには
やはり相当な努力が必要だと思います。

努力だけでは如何にもならないことだってある。
続けたくても環境が許さないこともあると思います。
そういう運のようなものも認めた上で
一番大事なものは情熱だと
キングカズは語ります。
きつい練習やストイックな生活も
試合に出たいという情熱があるから
続けられるのだと。

 

『大事なのは、50歳だからすごいとか、これまでの実績や、何試合出たということよりも、いま、毎日、何ができているのか、どういう生活をしているのか、あるいは、どういう気持ちでサッカーをやっているのか、情熱を持ってトレーニングができているのか、何をどう続けられているかです。もちろんプロとして数字は求めてなければいけませんが、根底にある大事なことは、そういう気持ちだと思ってやっています。』

 

キングカズと同じ年齢の私は
これまでの人生で
焦がれるような情熱を持って
取り組んできたことがあるか
と自問してみました。

果たして、答えは否でした。

情熱を持って取り組めることがある
ということは、
とても幸せなことです。
自分はそんな素晴らしいことには
巡り合わなかったからなあと
自分の運のせいにすることは
簡単だと思います。
だけど、よく考えてみると
情熱を持って取り組めるようなものに
出会えるような努力をしてきただろうか。
いや、実はもうそれは身近にあって、
自分がただ気づいていないだけなのではないか。
さらには、日常を退屈なものにしているのは
環境のせいではなくて、自分の心なのではないか。

 

もう一度静かに自分の足元を見つめなおし
自分の中や周りにあることから発せられる声に
静かに耳を傾けてみようと
特集を読みながら思いました。