Road to Rebirth

Through life and death, a chainless soul, with courage to endure !

追悼

私が20代で

配属先で困難を抱え孤立していたときに

あなたは救世主のようにあらわれました。

何度もあなたに対して苦しみを吐き出したけれど

いつも笑顔でそれを聞いてくれました。

 

40歳の手前で

花形の部署から地方へ配転され

失意に落ち込んでいた時も

酔い潰れるまでともにいてくれて

「頑張れ」と応援してくれました。

 

だけど

あなたが苦しんでいるときに

私はなんにも力になれなかった。

本当に悔やんでも悔やみきれない。

 

 

 

散々に愚痴を言いあったあと

二人でよくカラオケに行きましたね。

あの頃あなたがよく歌っていた曲を

ここ数日何回も聴いています。

 

本当にありがとう。

おこがましいようだけれど

私もあなたのように強く生きていきます。

 

 

“いつまでも忘れはしないよ 君に会えた夏の日を”

 

 


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「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」

今年の3月に逝去された世界的音楽家坂本龍一さんが

50代後半から最晩年までの自分の人生を語った

自伝「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」を読みました。

 

www.shinchosha.co.jp

 

坂本龍一さんのことは

私が中学生だった頃に Yellow Magic Orchestra での活躍で知りました。

クラスメイトにYMOのLPレコードを借り、カセットテープにダビングして

テープが擦り切れるほど聴いていました。

その後も「戦場のメリークリスマス」や「ラストエンペラー」の映画音楽で

強烈な印象が残っています。

 

 

本を読んで改めて坂本さんが稀有な存在だったということがわかりました。

音楽を通じて世界で活躍され認知されていたことはもちろんなんですが

膨大な量の古今東西の書物や芸術に触れ、思想や文化、科学などに興味を持ち

非常に高い次元で思索を重ねてこられたようです。

晩年の積極的な社会活動は

深遠な思索から生まれた高邁な精神に支えられていたようです。

 

坂本さんが大切に読んでこられた書物については

最近「坂本図書」という本が出版され

蔵書のごく一部と坂本さんの思索の一端を覗くことができます。

 

www.sakamoto-library.com

 

自伝の冒頭

大規模な癌の手術を受けられたあと

強烈なせん妄が起こったという下りがあるのですが

せん妄に財津一郎さん(ご冥福をお祈りします)のCMが現れたそうで

不謹慎だとは思いながらも笑ってしまいました。

 

坂本さんの遺作となったアルバム「12」は

装飾がない素のままの音楽という印象を受け

その分強く心が引き込まれていきます。

最近時間があるとこの「12」をよく聴いています。

この「12」のジャケットのデザインは

坂本さんが尊敬していた芸術家 李禹煥(リ ウファン)さんのものです。

milanrecords.com

 

私が住む街の近くにある福岡アジア美術館

李さんの初期の作品が所蔵され

現在展示中とのことだったので観てきました。

 

faam.city.fukuoka.lg.jp

 

 

写真のバランスがおかしいのはお許しください。

「線より」という1977年の作品です。

 

 

自伝の最後、坂本さんの話の聞き手である鈴木正文さんの後書きでは

自分の生命が僅かしか残っていないと自覚しつつ

次世代の若い人たちに希望に満ちた世界を残すために

どう行動すべきか、それだけを考えていたようです。

涙腺が緩んで少しずつしか読めませんでした。

 

最後は次の言葉で締め括られていました。

Ars longa, vita brevis ”

 

 

市川團十郎襲名披露公演。

 

十三代目市川團十郎白猿襲名披露公演を観に

博多座へ行って来ました。

www.danjuro-shuumei.jp

 

 

市川團十郎の襲名披露公演は

今回を観に行かなければ

恐らく自分が生を終えるまでに

二度と観ることは出来ないだろうと思い

チケットを取りました。

 

歌舞伎を劇場に観に行くのは初めてですし

歌舞伎のことについては素人ですが

観劇後には

今回観ることが出来て本当に良かったと思いました。

 

私が観に行った昼の部は

「矢の根」「外郎売」「景清」の三幕で

いずれも歌舞伎十八番です。

 

どの演目もとても素晴らしかったです。

外郎売」で初舞台を務めた

團十郎の長男の八代目市川新之助こと勸玄くんは

外郎売」の眼目である雄弁術を淀みなく披露して

とても立派でした。

また

「景清」を演じた團十郎は「荒事」の始祖に相応しく

とても荒々しく豪快でありながら華やかでした。

 

 

各演目の間に30分の休憩があったのですが

折角なので劇場特製の襲名弁当をいただきました。

とても幸せな気持ちになりました。

 

 

 

襲名披露興行は

昨年10月31日の歌舞伎座での「顔よせ手打式」を経て

来年の10月まで各地で行われるようです。

 

 

 

 

 

新喜劇出前ツアー2023→2024を観てきました。

以前からとても楽しみにしていた

吉本新喜劇の出前ツアー2023→2024を観に

博多座へ行ってきました。

 

www.hakataza.co.jp

 

 

寛平ちゃんが吉本新喜劇GMになってから始まった

博多座での出前公演。

第一回目の昨年はチケットを取り損なって涙を飲んだので

今年は万全の態勢を敷いて確保しました。

劇場に吉本新喜劇を観にいくのは5年ぶり。

TVで見るのも良いけど

やっぱり劇場で観るのは色々なパワーが違うと感じます。

 

今回の公演では

前半は人気芸人による漫才があり

チュートリアルを筆頭に、笑い飯アインシュタインなど5組が出演して

どれも面白くて大笑いしました。

後半の新喜劇は寛平ちゃんや辻本茂雄吉田ヒロ、珠代ちゃんや

多彩な顔ぶれが出演していて、可笑しすぎて涙が止まりませんでした。

あらためて、寛平ちゃん、茂、吉田ヒロを生で観れたことは

とても幸せでした。

 

 

私が舞台喜劇に惹かれるのは

私が小学生の時に民放TVで放送されていた

昭和の怪物番組、ドリフの「8時だよ!全員集合」や

昭和の喜劇王藤山寛美の「藤山寛美3600秒」の影響が大きいです。

どちらの番組も本当に楽しみで

番組が始まるとTVの真ん前に鎮座していました。

 

 

吉本新喜劇は私のパートナーがもともと大好きで

結婚して一緒に生活するようになってから

よく観るようになりました。

地方公演があれば行っていたのですが

5年前には

吉本新喜劇好きが高じて

一生に一度は本場で観たいよねって話から

なんばグランド花月へ行って鑑賞して来ました。

 

吉本新喜劇

ワンパターンなんだけど何回見ても可笑しいコントと

アドリブの応酬で脱線するところが私は大好きです。

 

 

舞台の最後のあいさつで

寛平ちゃんが来年も博多座でやりたいと言ってくれたので

来年も万難を排して鑑賞したいと思います。

 

shinkigeki.yoshimoto.co.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

希望のうた

わたしの腕の中 精いっぱいの腕の中

抱きしめるから 離さないから

あなたの胸の中 悲しい胸の中

涙がかわく時を待っていよう

 

 

この地球で

毎日を必死に生きている全ての人に

少しだけも

心の安らぎが訪れますように

 


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スイス プチ・パレ美術館展を鑑賞してきました。

このブログを読んでくださっている皆さま、こんにちは。

 

北九州市美術館で開催されている

「スイス プチ・パレ美術館展」に行ってきました。

kmma.jp

スイス プチ・パレ美術館はスイス・ジュネーヴにある美術館で

ある篤志家により設立されたそうです。

現在では休館中とのことですが

その収蔵品が日本にやってくるのは

30年ぶりなのだそうです。

会場は油彩画63点が展示してあって

じっくりと楽しむことができました。

 

私はパートナーと愛娘2人の4人家族なので

特にモーリス・ドニの「休暇中の宿題」を

微笑ましく鑑賞することができました。

 

 

北九州市美術館は今回で2回目の訪問なのですが

磯崎新のその特異な建築は毎回目を奪われます。

愛称が「丘の上の双眼鏡」というのも

納得してしまいます。

 

美術館には約7,500点の所蔵品があるそうで

昨年10月に訪問した時は

著名になる前のバスキアの「消防士」や

これも著名になる前の

草間彌生の「南瓜」の作品群を

観ることができました。

 

最近は洋画にとても惹かれているのですが

北九州市美術館は比較的多く

洋画の作品展を開いてくれるので

また機会があったら訪問したいと

思っています。